ピレネーの城

2018-10-05

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ふと、『ソフィーの世界』の著者、ヨースタイン・ゴルデルの本が読みたくなったので、読んでみました。
私は、基本的に彼の著作が好きで、和訳されている彼の本は全部読んでおります。
今回、ふと、読んでないのあったかなー、と思って検索した結果、この本が出てきたので読んでみました。

最低でも2回は読まないと理解ができない難解な本でした。
ネタバレしてしまいますが、大まかなストーリーです。



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30年前に恋人同士だったスタイン(男性)とソルルン(女性)が再会し、30年前に別れた原因となった出来事についてメールでやりとりする、というかたちでストーリーは進みます。
30年前、愛し合っている絶頂のところで、彼らは車で女性を轢き殺してしまいます(少なくとも、彼らはそう思っています)。
その直後に轢き殺してしまった女性が二人の目の前に現れます。
その女性は幽霊なのか、怪我をしただけで復讐をしに来たのか?
しかし、ここでの出来事の捉え方がスタインとソルルンとでは大きく違ってきます。
ソルルンがこの出来事を「あんな奇跡のような胸踊ることが起こるなんて。今考えると、あれはわたしたちへの贈り物だったように思えます」というのに対して、スタインは怯え、なぜそのような現象が起きたのかを、科学的に説明して、恐怖を取り除こうとします。
ソルルンは何となく、目の前に現れた自分たちが轢き殺してしまった女性は、彼らを死後の世界へと招き、肉体がなくなっても精神は生き続ける、という確信に近い考えを持つようになります。
そのうち、轢き殺された女性は実は未来のソルルンだったということがほのめかされます。
二人の前に現れた時に、轢き殺されてしまった女性がソルルンに対して「あなたは私の過去。私はあなたの未来」と伝えると同時にスタインには「スピード違反の切符をもらっておけば良かったのに」と伝えるからです。
最後に、今生きているソルルンが交通事故で亡くなり、おそらくその犯人はスタインではないか、ということがほのめかされたまま、その点は明らかにされないまま、ストーリーは終わります。

さて、この物語のテーマは「唯物論 vs 唯心論」と言われています。


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スタインは唯物論的に事象を見つめ、すべては物質からはじまり、科学的に説明ができると主張します。
ソルルンは唯心論的に事象を見つめ、精神は物質に規定されているだけで、物質がなくなったら、自由に生き続けると考えます。

そこで、哲学的な議論が繰り広げられるわけですが、最後に、ソルルンが亡くなる直前に「私は間違っていたかも」という言葉を残します。
これが、また謎なのです。

唯心論が間違っていたのか、スタインを愛したことが間違いだったのか、死後の世界があると思っていたことが間違いだったのか。

おそらく、全部だったのかもしれません。

このストーリーは最初の方で、いろいろなヒントが散りばめられていますので、2回ほど読んで見つけて欲しいと思います。

一番気になるのは、ソルルンの「オイディプス王は、自分を操る運命の糸が見えていなかった。そしてすべてが明らかに なったとき、自分はそれを見ようとしていなかったと恥じた。運命に対して、王は終始まぶたを閉ざしたままだった」という発言です。

つまり、超常現象が人の生活または人生に関与することがある、という
おそらく、結論としては唯物論か唯心論かどちらかという、二元論的なものではなく、人々は皆、部分的に唯物論を受け入れ、部分的に唯心論を受け入れているだ、ということなのではないでしょうか。

この世界のすべてを唯物論で説明することはできないし、また唯心論だけで説明することもできない。
さらに、この二つを使っても説明できないのが、実はこの世界なのだということを言っているように思いました。

この小説のタイトルとなっている「ピレネーの城」。
ピレネーの城は、海の上を浮遊している大きな岩山の上にあります。
ピレネーの城

ここには、どうやっていったらいいのでしょう?
多分、どうやってもたどり着けないのです。
わたしの想像の域を出ませんが、「ピレネーの城」=この世界と捉えて、私たちがどうやって頑張ってもたどり着けない場所、理解できない場所、説明できない場所、をこの小説では表現したかったのかもしれません。
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