人生に奇跡は起こるのか!?

「奇跡」という言葉があります。

辞書を調べてみますと

「常識では起きそうにない出来事」

と書かれています。

スポーツの場面では「奇跡」という言葉がよく使われるような気がします。

しかし、それらは本当に「奇跡」なのでしょうか?

私は、「奇跡」という言葉を信じても良いかと思います。

しかし、そこには条件があります。

私が「奇跡」という言葉を聞いて思い出すスポーツシーンはいくつかありますが、印象的なものは二つです。

一つは、全国都道府県対抗女子駅伝の2016年大会。

愛知県が優勝した大会ですが、そのアンカーを走った日本郵政の鈴木亜由子選手。

トップから1分37秒差でタスキを受け取った彼女は、これまで1分以上での逆転はなかったこの大会で初めて、1分以上の大逆転をして、優勝。

「奇跡の大逆転」とも言われるような結果となりました。

もう一つは「奇跡のバックホーム」です。

1996年の夏の甲子園。

決勝戦は愛媛代表の松山商業と熊本代表の熊本工業高校。

延長戦となった10回裏。

1アウト3塁の場面。

松山商の澤田監督は、ライトを矢野勝嗣(まさつぐ)に交代。

その直後に打席に立った熊本工業の本多は初級を振り抜き、アナウンサーが「行ったー!これは文句なし!」というほどのあたりをライトに放つ。

結果は浜風に押され、打球はライトフライ。

三塁ランナーの星子はタッチアップをし、勝利あったかとと思われきや、この試合で初めてボールに触った矢野の好返球によって判定はアウト。

サヨナラの勝利を逃した熊本工業は、延長11回の表で2点を失い敗北。

さて、この二つのケースは本当に「奇跡」だったのでしょうか?

中日新聞のリオ五輪特集では、鈴木亜由子さんについて、こんなことが書いてあります。

時習館高(愛知県豊橋市)時代に右足甲を二度疲労骨折。マンツーマンで復活の道を進んだ元高校教諭の夏目輝久さんは、地道で苦しいリハビリを黙々とこなした鈴木選手の姿を思い起こし「亜由子は努力の天才です」。関わった多くの人が同じフレーズを口にした。
中日新聞

つまり、彼女はとてつもない努力家なのです。

苦しくて、苦しくて、努力をした結果があの奇跡の走りなのです。

それでは、奇跡のバックホームを演じた矢野さんはどうなのでしょうか。

「文春オンライン」というサイトでこのような記事を見つけました。

レギュラーを外れても居残りでバックホームを練習し続けた
 厳しいことで知られる松山商の練習。毎日の最後のメニューとなるシートノックは、最後に全ポジションへの一本ノックで各野手がバックホームをきちんと決めたら終わりになる。ノックは内野から順番に打たれ、外野に続く。ライトが最後。だが、ライトに入った矢野のミスでやり直しになることが何度もあった。「お前が決めたら終わり」という監督の声に、生真面目な矢野は必要以上にプレッシャーを感じ身体が動かなくなる。ホーム前に戻っていた他の野手たちは、またそれぞれの守備位置にダッシュで戻らなくてはならない。矢野が失敗を繰り返すと容赦なく罵声を浴びせた。「お前がいると練習が終わらん。頼むから辞めてくれ」とまで言う者もいた。
 それでも澤田は矢野をライトで使い続けた。どんなに罵られてもクサることなく、全体練習の後に一人居残ってバックホームを繰り返す矢野の姿を見ていた。2年生投手新田の成長で、打撃も良いエース渡部がライトに入ることが多くなり、矢野はレギュラーを外れて甲子園では一塁コーチャーとなっていた。そんな不器用な選手が、究極の場面で起こした“奇跡”だった。
文春オンライン

つまり、これも「努力」した結果、導かれた「奇跡」なのです。

矢野さんの練習がなければ、監督がライトの交代を命じたとしても、あのような結果にはなっていなかったはずなのです。

さて、決して成功と言えない人生を送っていた人がいきなり成功したらどうでしょうか?

やはりそれは「奇跡」なのでしょうか?

人々は、おそらく彼は「運が良かった」「奇跡が起こった」などということでしょう。

あの「ピコ太郎」についてはみなさんどう思いますか?

売れないコメディアンから、youtubeにアップした一つの動画だけで、今や世界の誰もが知るアーティスト(?)となり、国連本部に招かれたりするまでになりました。

これは奇跡なのでしょうか?

彼は運が良かったのでしょうか?

昨日と今日と私が購読しているメルマガでは、ピコ太郎が紹介されていました。

その内容はこんなようなものでした。

ボキャブラ天国などにお笑いトリオ「底抜けAirline」として出場していたピコ太郎。

お笑いトリオは2003年に解散。

その後、ピコ太郎は地方局のレギュラー番組やラジオやイベントで司会の仕事をしていたとのこと。

また、音楽活動にも真剣に取り組む。

2007年にアメブロを立ち上げ、またネットを使ってビデオ配信をはじめる。

お笑いと音楽とネット配信に真剣に取り組み、試行錯誤を重ね、こだわった結果、今のピコ太郎は完成した。
(完成したというのは失礼かもしれない。まだ先があるから)。

さて、このメルマガを書いてくださった方のコメントが素晴らしかったです。

「『どうやってチャンスをつかんだか』よりも、
『チャンスがなかった時代に何をやっていたか』
ということの方が参考になるでしょう。

売れていない時だからこそ、何をするのか。

それが成功する人と成功しない人を分けるのです。」

さて、今回、ちょっと長い記事になりました。

結局、何が言いたいかと言いますと、人生に「奇跡」は起こります。

しかし、その「奇跡」は努力なしでは、起こりえません。

「奇跡」「奇跡」と軽々しく口にするのは別にいいです。

しかし、そんなことを言っている人は「成功」などしないのです。

「奇跡」結局のところ「努力の賜物」なのです。