現在、司馬遼太郎氏の小説『功名が辻』を読んでおります。
まだ文庫本の2冊目の終盤なので、あと2冊残っていることになり、半分程度しか読めていないことになります。
この小説の主人公は土佐藩主の山内一豊とその妻の千代。
一豊と千代の関係がホームドラマのように暖かく、コミカルに描かれており、思わずにやけてしまうような描写があったり、思わず「うわっ」と声を出してしまうような、戦場の描写があり、思わず引き込まれてしまうような小説です。
さて、この小説の中に出てくる一豊の妻、千代は豊富秀吉に「日本一の妻」と言われたほどの良妻賢母だったそうです。
一豊に嫁いだ最初の夜に「千代はきっと一豊様を一国一城の主にしてみせます。そのかわり、他のおなごに御眼移りなど、なさいますな」と言い、一豊の出世に尽力します。
世の中の動きに鈍い一豊に対して、自ら情報を集めたり、一豊が従える豊富秀吉やその妻、北政所「ねね」とも仲良くなり、一豊の出世に貢献したり、または、一豊が自分の人生に嘆き出家を望んだ時にも最終的には出家せずに武士として生きるように、巧みに操作をします。
まだ、『功名が辻』を最後まで読んでいないので、結末がどうなるかはわかりませんが、最終的には土佐藩主になりので、サクセスストーリーと言っても良いのかもしれません。
山内一豊に限らず、世の中の成功者の背景には女性の活躍が常なのではないかと私は考えています。
例えば、アメリカ元大統領のビル・クリントン氏もそうでしょう。
ビル・クリントン氏とその妻ヒラリー・クリントン氏に関する面白いジョークがあります。
ビル・クリントンとヒラリー・クリントンが二人でドライブをしていた時にガソリンスタンドに立ち寄ります。
すると、ヒラリーはガソリンスタンドで働いている男性と抱き合い、懐かしそうに話をしています。
ガソリンスタンドを出発した後に、ビルがヒラリーに
「あの男は誰なんだ?」
と聞いたそうです。ヒラリーは
「昔の恋人よ」
と言います。ビルが、
「彼じゃなくて、俺と結婚して良かったな。アメリカ大統領夫人になれたのだから」
と言うとヒラリーは
「あなた、馬鹿ね。もしも、私が彼と結婚していたら、彼がアメリカの大統領になっていたのよ」
と言ったそうです。
そのほかにも歴史上の人物では、『功名が辻』にも登場する豊富秀吉の妻「ねね」。
源頼朝の妻、北条政子。
世界に目を向ければ、ナポレオン・ボナパルトの妻ジョセフィーヌ、リンカーン大統領の妻メアリーなど、旦那様の成功を応援した妻がたくさん挙げられます。
さて、それでは、この女性も夢を叶える可能性が格段に大きくなったこのご時世。
女性の成功の影に男性はいるのでしょうか?
支え方は違うかもしれないのですが、やはりパートナーの支えや理解は人生で成功したり、夢を叶えたりするためには絶対に必要なのではないでしょうか。
ドラマや映画を見ていると、夢を叶えた大半の女性は夫や家族に一度は反対される、という経験があるように思います。
この点で、もっと男性が女性の夢をサポートしてあげたら世の中はもっといい方向に変わるのではないかな、と思うのです。
確かに女性には家庭を守るとか子守をするなどの重大任務があると言われるかもしれませんが、挑戦することそのものに意義がありますし、挑戦して成功したら、その時にパートナーと一緒に家庭内の役割を考えたら良いのではないでしょうか?
私は、まだ一年程度しか子育てをしておりませんが、家庭や社会における男女の役割は交換可能だと思っています。
単純に「覚悟ができるかできないか」の問題だけだと思うのです。
先日、私の妻は看護師の国家試験の受験を終わり、結果はまだ出ていませんが、「合格したら、こんなところで働きたい、あんなところで働きたい。でも夜勤が・・・・・・」などと夢と不安を語っております。
私としては、チャンスがあるのであれば、すべてのチャンスに挑戦してもらいたいと思いますし、挑戦に伴う不安を取り除くことが、パートナーの役割なのではないかな、と思っています。
ということで、「成功者の背景に女性の姿あり」と言われてきましたが、男女関係なく「成功者の背景にパートナーの姿あり」という社会を目指したいですし、「妻の成功の背景に旦那の姿があった」といわれるような家庭を目指したいな、と『功名が辻』を読んで思う今日この頃です。