子育てにもビジョンが必要?

2024-01-15

最近、組織経営の本を読んだりするのですが、その中で社員に対する言葉のかけ方など子育てと共通する部分があるなと感じることがあります。

例えば、細かいことがらになんでも口を出す社長がいたりします。

私も、そのような会社に勤めた経験があるのですが、ある時、

「あれ、じゃ、僕って何も考える必要ないじゃん。全部、社長の言う通りにしたらいいんだ。これからは社長の指示をずっと待っていよ」

と考えるようになってしまいました。

そうなると社長の方はイライラして、

「自分で考えて動け」

と言い出します。

自分で考えて動き出すと

「だから、俺がやってほしいことはそう言うことじゃないんだ」

といって、細かい指示を出してきます。

と思いきや、

「そうじゃない。誰の指示でそんなことをやっているんだ」

となったりします。

結局、

「なんだ、やっぱり僕は考える必要ないじゃん。しかも自分が出した指示を忘れるくらいだから、指示も聞かなくていいんじゃないか?」

と思ってしまうわけです。

そもそもなんでこのようなことが職場で生じるのかというと、社長にどういう会社にしたいのか(どういう社員に育ててたいのか)というビジョンがないからだと思います。

そのため、巷の噂や自分自信の想像であらゆる方針がコロコロと変わってしまうわけです。

例えば、会社に「5年以内にこういうことを達成する」というビジョン、目標があれば、そこを達成する手続きや手法は社員に任せて、社長は進捗状況だけ気にしていればいい話なのです。

このような状況が家庭でも起きることがしばしばあります。

例えば、

「自分で考えてやってごらん」

「やってみたよ」

「そうじゃないでしょ。もう一回やってみて」

「やったよ」

「そうじゃないでしょ!はい、もう一回」

などという状況に陥ることはありませんか。

これも子どもを育てるためのビジョンがはっきりしていないから生じる現象だと思います。

例えば、「自分で考えられる子に育てる」というビジョンがあれば、細かい指示などはおそらく出てこないと思います。

困った時にはしばらく放っておく、という態度をとると決めておけばいいだけなのです。

優しい子どもに育てたい、と思うのであれば、優しい態度で接してあげる、子どもが優しくない態度を取らなかった時にだけ怒る、など怒る基準が決められるわけです。

怒る基準を決めてしまえば、親としてもこれは「怒る基準じゃないな」と怒りたい時にも耐えることができるわけです。

子どもも、「あ、こういうことをしたら怒られるんだな」と親の怒りに一貫性を感じてもらうことができると思います。

おそらく、「このような子どもに育てたい」、というイメージはたくさんあるかと思います。

優しい子、人に迷惑をかけない子、自分で考えられる子、などあると思うので怒る基準というのはおそらく一つの基準だけにはならずに、たくさんの基準が設定されると思います。

とりあえずは気分で、あの時はこれやっても怒られなかったけど、今度は同じことやったのに怒られた、ということが生じないようにすることが重要なのではないでしょうか。