林真理子『今夜も思い出し笑い』感想

2024-01-15

ピンと来る方にはピンと来るタイトルなのでしょう。

林真理子さんの『今夜も思い出し笑い』を読んでみました。

エッセイです。

このエッセイは、1983年8月4日号から週間文春に連載されているエッセイの一部なのだとか。

ちなみに、林真理子さんが週間文春に連載しているエッセイは今も続いており、去年(2019年)の8月に1615回の世界最高記録を更新し、現在も更新中とのこと。

すごい。

継続は力なり、と言いますが、36年間も1週間に1回書き続けられるとは、すごいなと思います。

おそらく、他の仕事もあるかと思うので、書いている量は半端ないと思います。

さて、実は、私は林真理子さんのエッセイを読むのは今回が初めてでした。

もしかしたら、過去に週間文春に掲載されているエッセイを読んだことがあるかもしれませんが、覚えていません。

なんせ、私が小学2年生の頃から連載されているわけですので、多分どこかで一度は読んだことがあるんだろうな、とは思います。

今回、私が読ませていただいた『今夜も思い出し笑い』は単行本として1985年に出版されています。

68篇のエッセイが収められているので、84年あたりに連載されていたエッセイでしょうか。

さてさて、その内容はと言いますと、週刊誌の内容っぽいエッセイです。

いや、もしかしたら林真理子さんが、これらのエッセイで週刊誌のイメージを創り上げたのかもしれません。

悪く言えば、ちょっと下品な女子会トークのような内容です。

女性のイメージを大きく変えてくれる内容でもありますが、女性の本来の姿を描いているのかもしれません。

今回、この記事を書くにあたって、林真理子さんのことを調べて初めて知ったのですが、彼女は「妬み・嫉み・嫉妬を解放した」ということで評価されているようです。

『今夜も思い出し笑い』で本人が自分自身のことを「発展途上有名人」と言っているあたりで、「妬み・嫉み・嫉妬」の雰囲気が醸し出されている。

自分は田舎者であり、青山通りを闊歩する東京の女性にはなれる素質がない、有名人になろうと思ってもお里がお里なので慣れない、という有名人に対する憧れがあると同時に、「いや、なろうと思えば有名人になんてすぐにでもなれるんだけどね、あえてそうしていないのよ」というような、私はあの人たちとは違う、という一線を引いているような、そんな複雑な気持ちが正直に書かれているような気がしました。

当時は女性がこのようなことを行くことがなかったので、驚きと衝撃と痛快さと、本当にそう思うわ、私は声に出して言えないけど、という共感できる部分もあって、ウケたのでしょう。

「人に認められる何かを残したい」という気持ちでエッセイを書いていたようですが、その発言からもわかるように、向上心が強い方で、悪い言い方をすればコンプレックスの塊です。

ただ、誰に何を言われようと、そのコンプレックスを躊躇せずに、素直に出しているところが(しかも36年間も)すごいと思いました。

私が読んでいて興味深かったのは、彼女が書いている1980年代前半と、2020年とのギャップです。

ホテルの売店が閉まってしまい、顔につけるクリームがなく、とりあえず脂分をと考えコーヒーに入れるコーヒーフレッシュを顔につけたとか。

いやいや、コンビニ行こうよと私は普通に思うものの、ふと「あ、この時代はまだまだコンビニ少なかったなー」と思ったり。

職業で作られた体は素晴らしいけど、私の場合はペンだこができるくらい、というのも、「そっか。まだパソコンとかワープロとかなかったよね。あったとしてもタイプライター?」などと、私の幼い頃の記憶をたどりたどり、「古き良き時代」に浸っておりました。

最近ではブログで似たようなネタを書く方々がたくさんいるのかな、と思ったりして、今後、このようなエッセイはどうなっていくのか気になりました。

しかし、林真理子さんは、まだまだ週間文春にエッセイを連載中ですので、その内容がどういうものか最近のエッセイ、本も読んでみようと思うのでした。