子供の好き嫌いを直さなければいけない理由

2019-02-07

「子供の好き嫌い」で悩んでおられる親御さんはたくさんいるかと思います。

「子供の好き嫌いはなぜ直さなければいけないのか」などとネットで検索すると、色々と回答が出てきます。

主たる回答としては、栄養が偏るから、わがままに育ってしまうから、学校給食法があるから好き嫌いは「悪」として学校で教育されているだけです、などです。

栄養が偏るから、という回答については、納得しているか、していないかは別として、みなさんもお子さんにそのように説明されていることかと思いますので、説明は不要でしょう。

わがままに育つ、ということについて、以下のサイトではこのように書かれています。

人間性にも影響が? 子どもの好き嫌いを放置してはいけない理由

嫌いなものを様々な方法で食べさせるというのは、苦手なものを受け入れる最初のトレーニングになるのです。それをしないと、「苦手なもの、嫌な事は受け入れなくてもいい」と子供は思って育つので、これが対人関係や学校の勉強、大人になってからの仕事にまで影響してしまい、嫌な事があったり嫌いな人がいたりすると、すぐ会社を辞めてしまうようになりかねません。

この記事を書かれた著者は心理食育インストラクターとのことです。

この方の記事を信じるか信じないかは読者のみなさまにお任せします。

私の個人的な意見として、わがままなお子様には、やはり好き嫌いが激しい傾向があるように思います。
(好き嫌いが激しいお子様に対して「この子はわがままだ」という印象を持ってしまうだけなのかもしれませんが・・・)。

学校給食法については、学校給食法で「国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならない(学校給食法第5条)」と定められているため、何が何でも好き嫌いをさせずに、残さず給食を食べてもらわなければ先生たちは都合が悪いわけです。

私も、子どもの好き嫌いをなくせるものであれば、なくしたいと考えています。

しかし、その理由は上記のようなものではありません。

正直、トマトやピーマンが嫌いだからといって、そこまで子供の栄養や健康に問題が生じるとは考えていません。

好き嫌いを直さないとわがままに育つという点については、そうかもしれない、と思う程度です。

学校給食法については、もう勝手にやってくれって感じです。

私が子どもに好き嫌いをしてほしくない理由は以下の4つです。

1) 感謝のできない子どもに育ってしまう。
2) 将来人脈を作るチャンス、出世するチャンスを逃してしまう可能性が高い。
3) 自分自身の評判を落としてしまう。
4) いつか必ず、食べるものに困る。

1) 感謝のできない子どもに育ってしまう。

ご飯を食べる、という行為は人間が生きていく上でなくてはならない行為です。

ですので、ご飯を食べることができたときは、自ずと、今日もご飯を食べることができました、という感謝の念が生じても不思議では無いのです。

しかし、幼いうちに好き嫌いがなくならなかった場合、嫌いなものが出てきた食卓は、その人にとって拷問でしかありません。

通常、ご飯を作ってくれた人に感謝しなければならないにもかかわらず、嫌いなものが出てきたら、ご飯を作ってくれた人に対して「なんで、こんなん作るん!嫌いだし!」と攻撃的な態度さえ取るようになります。

もっとも基本的なことに感謝できなくなってしまった子が、ほかのことに関して感謝できるようになるでしょうか?

2) 将来人脈を作るチャンス、出世するチャンスを逃してしまう。
二つめの理由は、将来人脈を作るチャンス、出世するチャンスを逃してしまう可能性が高いということです。

質問です。

あなたが一緒にご飯を食べに行って、楽しいと思う方はどちらですか?

「美味しい!」と言って、好き嫌いなく笑顔でご飯を食べる人。

「うわ、俺、トマト嫌いなんだよね。うわー、こっちにはキノコ入ってるじゃん。食べるもんないしー」と言いながら、嫌々そうにご飯を食べる人。

私の個人的な見解かもしれませんが、後者の方をご飯に誘うことは二度とないでしょう。

例えば、誘ってくれた相手が職場の上司だったらどうでしょう?

「今日は、俺が世話になっている美味い店連れて行ってやるからな」と言われて、「オススメは、このトマトの料理なんだよ」と自分の嫌いな食材を勧められたらどうでしょうか?

「ぼく、トマト嫌いなんで、遠慮させていただきます」と言ったところで、おそらく上司のあなたに対する印象は悪くなるでしょう。

そこで、無理して食べたとしても、無理して食べているわけですから、その場が楽しい場になるわけはありませんよね。

そのような雰囲気は上司も気が付きます。

「あ、俺とご飯行くの楽しくないんだな」という印象を与えてしまうことでしょう。

ご飯のお誘いがなくなるだけならいいでしょうけど、下手すると出世のチャンスも無くなるでしょう。

なぜなら、職場以外の場であらゆる人脈を作り上げて、あらゆる情報を得ることが、自分にとってのキャリアアップのチャンスになります。

上司に誘われないということは、せっかくの人脈と情報源をミスミス逃しているということです。

また、おそらく上司はこのように考えるかもしれません。

「今度、お得意さんとの食事会があるけど、好き嫌いが激しいこいつは、失礼になるかもしれないから、連れていけないな。ましてや、こいつを俺の後釜に据えるってことは絶対にありえないな」。

好き嫌いが多いということで、人脈形成と出世のチャンスを逃がす可能性は高いのです。

3) 自分自身の評判を落としてしまう。

3つ目の理由は、人脈形成、出世のチャンスを逃す、という点とも関係があるのですが、自分自身の評判を落としてしまうことです。

以前、大学教授の海外渡航に同行したことがあります。

彼の専門分野では、確かに著名な先生でした。

しかし、彼はピーマンが大嫌いな方でした。

海外滞在中もレストランで注文するときは、全部ピーマン抜きでの注文です。

同行者としては、どのメニューにピーマンが入っていないのかを常に事前に確認しなければいけません。

ピーマンが入っていた際には、同行者を怒鳴りつけたり、店員を呼び出して怒鳴りつけたりします。

そんな食卓にあなたは座っていたいでしょうか?

もう一度、その教授に同行をお願いされたら、やはり断るでしょう。

食事をしている瞬間は、人間にとってもっともしあわせな瞬間であるべきなのです。

ですので、美味しいご飯を食べながら、女性を口説くと、女性は口説かれやすいとも言います。

それは、彼女の欲求が満たされているため、この人であれば幸せになれるかも、っと脳が誤解をするからだそうです。

でも、それとは逆に、食事の場が好き嫌いなせいで険悪な雰囲気になってしまったらどうでしょうか?

おそらく、それだけで、私はその人を嫌いになってしまうでしょうね。

また、せっかく綺麗な女性(または、男性)を食事に誘い出すことができたとしても、好き嫌いが激しい方は、嫌いなもの出てきたらどうしよう、どうやってごまかそう、どうやって食べれない言い訳をしよう、などと気が気ではないのではないでしょうか。

結局は、この人と食事に行っても楽しくないな、ということになってしまうでしょう。

一生に食事をする機会というのは実は限られています。

その限られた食事を、一緒に食事をして楽しくない人とあえてする必要はあるでしょうか?

4) いつか必ず、食べるものに困る。

ちなみに、私は好き嫌いがないので、なんでも美味しくいただいています。

お陰で、「Y君はなんでも、美味しくご飯を食べてくれるから、気持ちいし、嬉しいよ」、とご馳走してくれる方が多いです。

学生時代は大家さんが、タッパーに入れてご飯をたくさん持ってきてくれて、食べるものには苦労しませんでした。

その理由も、なんでも美味しいって言ってくれるし、キレイに食べてくれるから、ということでした。

でも、もし好き嫌いが激しく、せっかく持ってきてもらったものを、「これ、嫌いなんで食べれないんですよ」とお断りしたり、いただいたふりをして、実は食べなくて適切な感謝の言葉が言えなかったり、ということであれば、二度といただけなくなってしまうでしょう。

私は、好き嫌いがなく、なんでも喜んで美味しそうに食べてきたからこそ、これまで、食べるもので苦労することはなかったと思っています。

最後の理由はちょっと漠然としているかもしれませんが、お金を粗末に扱う人はお金に困る、とよくいうように、やはり好き嫌いが激しく、選り好みをして食事をする人は、いつか必ず、食べるものには困る事態に陥るのではないかと思うのです。