バイクで京都から朝来(2016年7月27日)その2
(トップページのサムネイル写真は、私が撮影したものではありません)。
さて、そこから出発して目指すは朝来。
一気に朝来までいけるかなーと思ったけど、もう歳のせいか1時間くらいで体が疲れる。
ということで、夜久野の道の駅で休憩。
(実は、ここまで書いたものの、ツーリングの記録を残したノートを失くしてしまった。あとは、思い出しながら書くしかないのだが、経過時間と距離がまったくわからなくなってしまった・・・)
このあたりで、日が暮れかけてきた。
おそらく、6時半くらいだったのではなかろうか。
ジュースを一本飲んで、先を急ぐ。
ここから、先は畑の真ん中を走るような道。
外灯も減り、車のヘッドライトとテールライトが道筋を照らしている。
そろそろ、朝来かと思いきや、予約したホテルが全然見当たらない。
ちょっとした町が見えてきたので、市街地に入るものの、そこにホテルは見当たらない。
そのまま走り続ける。
距離計を見ていると、どうやらとおりすぎている感じ。
「養父」という標識が通り過ぎ、次に「八鹿」という標識が通り過ぎる。
どう考えても、通り過ぎている、と確信したあとに、仕方ないので、道路の脇にバイクを止めて、ホテルに電話をする。
「どうも、通りすぎてしまったそうで・・・」
「え!」
どうやら、キャンセルされるとでも思ったらしい。
「あ、必ず行きますので、キャンセルしないでください。今、八鹿にいるみたいなので、そこから戻ります。」
「あ、そうなん。気をつけておいでね。」
ちょっと、ホッとして、ホテルまで戻る。
すると、見たことがある景色の端っこにホテルの看板。
駐車場に入いると、入り口の前で親子連れが花火をやっている。
どうやら、その中の一人のご年配の女性の方がホテルのオーナーらしく、電話で対応してくれた方らしい。
まず、彼女の第一声が
「ありゃ、単車かい?どっちから?」
「京都です」
「京都か。私も昔よく行ったよ。単車の後ろに乗って、旗持って。」
(え、旗?おばあちゃん、どんなバイク乗ってたんやろ)。
とりあえず、気の良いおばあちゃん。
手続きを済ませて、部屋に入り、荷物を置いて、そのままご飯を食べに出かける。
といっても、ほとんどお店はない。
仕方がないので、国道沿いのチェーン店らしきハンバーグ屋さんに入る。
ホールにはアルバイトらしき女子高生がキビキビと一人で動いている。
注文を決めて、女子高生を呼ぶ。
「これをお願いします」
「ソースはどうなさいますか?この中からお選びください」
「何がおすすめですか?」
「私は梅紫蘇が好きです」
「え?でもこの中にないですけど・・・」
「でもそのソースでお出しできますよ」
「それじゃ、それでお願いします」
なんか、チェーン店っぽいらしいお店だけれども、よくよく見ると、地元の方がやっているお店ぽい。
そして、なかなか融通がきいて面白い。
ということで、食事にも人にもとてつもなく満足して食事を終了。
ホテルの部屋に戻り、朝来がどういうところか気になったので、携帯を使って調べてみる。
すると、wikipediaには以下のようなことが書いてあった。
「古代の但馬国朝来郡の地である。
朝来郡には近畿地方最大の円墳などの古墳が多く、発掘された副葬品などから、古代に巨大権力者がいたことが推測されている。
生野銀山は、平安時代初期の807年(大同2年)に開坑したと伝えられる。
本格的な採掘は戦国時代に、但馬国守護大名・山名祐豊により始まり、織田、豊臣、徳川などの時の権力者は直轄地とし、重要な財源とした。
江戸時代は、一部に旗本領、出石藩領、豊岡藩領があったが、生野銀山を中心として大部分が幕府領であった。」
なかなか、面白い地域ではあるものの、ゆっくりと朝来を楽しむ時間がない。
明日も朝早くから、出発なので、とりあえず、今日は、眠ります。
おやすみなさい。
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