親の年収と子どもの学力は比例すると言われるけれども・・・。
よく世帯の年収と子供の学力が比例すると言われております。
しかし、世帯の年収の内容によっては、また違う結果が出てくるのではないかな、と自分の経験から感じたので、ちょっと思うところを書いてみました。
まず、どの書籍かどの論文か忘れてしまいましたが、東京大学教育学研究科教授の苅谷剛彦氏などが、随分前から親の年収と子どもの学力は比例するというようなことを言っていたような気がします。
そこでの彼らの主張は確か、教育の機会均等は達成されているけれども、だからと言って子どもが平等に教育を受けれているわけではない、というような話だったかと思います。
機会均等以前にもっと見えない不平等が教育にはある、ということです。
親の年収と子どもの学力が比例する理由としては、一般的に以下のようなものが挙げられています。
・収入が高ければ子どもを塾などに通わせることができ、学力を高めることができる、
・収入が高ければ本や学習に役立つおもちゃなどを子どもに買い与えることができる、
・収入が高い親は、自身が良い大学を卒業していたりするので、勉強をして良い大学に入ることで収入が上がることを経験しており、子どもにもそのように教育をするため、
などです。
現在、私の世帯は共働き(二人とも正社員)で世帯収入は600万円程度でしょうか。
世帯年収だけを見れば、全国の平均世帯年収をちょっと上回るくらいでしょう。
しかし、共働きで600万円と両親のどちらかだけが働いて600万円では、子どもの学力に大きな差が生じるような気がするのです。
私の世帯には、小学6年生と1歳の子どもがいます。
近くに、子どもの面倒を見てくれるような両親の親などはいません。
つまり、基本的には夫婦だけで子どもの面倒を見て、働いているわけです。
ここで生じる問題は、二人ともが正社員で働いているとなると、子どもの面倒をみる時間的・精神的余裕が少なくなるということです。
最低限の世話は頑張ってするとしても、宿題を見たり、勉強の世話をしたり、ということができなくなります。
時々、最低限の世話さえもできないこともあります。
例えば、子どもの朝食を作らずに、勝手に好きなもの食べておいて、というような感じです。
残念ながら、余裕がないので、子どもの学校生活や成績についても無関心になってしまいます。
(ちなみに、今日はまだ冬休みが終わっていないにも関わらず、始業式と勘違いして、子どもを学校に送り出してしまいました・・・)。
子どもが「今日、学校でね・・・」と話しかけようとしても、「明日にして」という態度をとってしまうことも多々あります。
学校からのプリントなどは、さっと目を通しただけで、テーブルの上に置きっぱなしなどにしてしまうことも多々あります。
そのような状況が続くと、子どもとしてはおそらく、「学校からのプリントは重要じゃないんだ」と思うようになり、積極的に学校の状況を親に伝えることをしなくなってしまうことでしょう。
また、子どもの宿題や成績に無関心になってしまうことで、もちろん子どもの中に「宿題や成績なんて、別に重要じゃないんだ」という意識が芽生えてしまうこともあり得るでしょう。
こうなってしまったら、ある日突然親から
「成績が悪いみたいだけどもっと勉強しなさい」
と言われても、子どもとしては
「今まで、何にも言わなかったのに、突然、何?」
とびっくりしてしまったり、悪い場合には
「何、いまさら?」
と反抗的な態度になってしまうことも考えられます。
共働きの家庭で、正直、この問題をどうやって解決したらいいのかは、全然わかりません。
とりあえず、頑張って子どもの学校生活に興味を示すことしかないのでしょう。
以前、ウェブで見た記事には「共働きであれば、お金で買えるものはお金で買うべき」ということが書いてありました。
例えば、家政婦さんを雇って、家事をやってもらう、などです。
しかし、共働きで平均的な年収しかないようであれば、それもなかなか難しいかと思います。
とりあえずは、時間をいかに有効に使うかを考えて、頑張るしかないのでしょう。
ということで、世帯の年収は子どもの学力と比例することは確かですが、世帯年収が高くても、共働きなどの場合は、その限りではないのでは、という私の個人的な意見でした。
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