インドネシア人の人生観もよくわかる『大人も学生も夢中で読めるインドネシア史』を読んでみた

先月、ほとんど何も勉強しないままインドネシアに行ってしまいました。現地では気になることが山ほどあり、一緒に渡航したインドネシア人を質問攻めにしてしまい、あとから少し反省しました。

「これはさすがにまずいな」と思い、とりあえずインドネシアの基本情報くらいは頭に入れておこうと手に取ったのが本書です。

AmazonのKindle Unlimitedで無料で読める状態になっていたことも、この本を読む大きなきっかけでした。正直なところ、電子書籍で無料で読める本だったので、あまり期待はしていなかったのですが、内容は良い意味で期待を裏切られました。

非常にわかりやすく、しかも簡潔にインドネシアの歴史を理解することができたのです。

なぜ、こんなにもわかりやすいのだろうか、と考えてみました。

最初は、インドネシアが長くオランダの植民地支配を受け、独立は1945年、大統領もまだ8人しかいないという、日本の戦後史と大きく変わらない「比較的短い歴史」であること。加えて、私自身がインドネシアの領土がどこからどこまでなのかも正確に知らないほど無知だったため、書かれていることを素直に受け取れたからではないか、と思いました。

しかし調べてみると、著者のうらら美由紀さんは、インドネシアだけでなく、エジプト、オーストリア、スウェーデン、アイルランド、そしてエチオピアの歴史についても、同じスタイルで書籍を出版されているようです。

どうやら、この「わかりやすさ」は、私の知識不足だけが理由ではなく、著者の執筆テクニックと丁寧な調査量によるものなのでしょう。

本書には、「ハルト」という好奇心旺盛な少年と「博士」が登場し、ハルトの質問に博士が答える、という対話形式で話が進んでいきます。もしかすると、著者が実際に各国の専門家にインタビューした内容を、こうした形で再構成しているのかもしれません。

いずれにしても、著者が一体どのような方なのか、とても気になっています。

さて、本書を読みはじめたとき、このスタイルを踏襲して自分もエチオピアの歴史書を書いてみようか、などと一瞬考えたのですが、すでに同じ著者によってエチオピア史が出版されていました。

ということで、次はこのシリーズのエチオピア史を読んでみようと思います。

一応、エチオピア研究者だった身としては、対象となっている国について詳しい人が読んでも満足・納得できる内容なのか、それともツッコミどころ満載なのか、今から楽しみです。

また感想を載せたいと思いますので、皆さん、気長にお待ちください。(いつになるかは分かりませんが)

さて、気になる内容ですが、どうしてもインドネシア史の確認事項のような形になってしまいます。以下は、私自身が驚かされた点、学びにつながった点を備忘録的にまとめたものです。

  • インドネシアには、世界の生物種の約15%が集中している。
  • インドネシアは群島国家であり、島の数は大小合わせて1万7千を超える。そのうち、人が住んでいるのは約6千の島である。
  • 国の東西の距離は約5,100km。東京からインドまでの距離とほぼ同じである。
  • インドネシアは、「島々を結ぶ海を含めて、ひとつの国家領土とみなす」という「群島国家の原則」を世界で初めて打ち出した。この考え方は、後に国連海洋法条約にも影響を与えている。
  • 人も自然も多様性が非常に高いため、インドネシアの国章には「ビンネカ・トゥンガル・イカ(多様性の中の統一)」という言葉が刻まれている。
  • 火山の多いインドネシアの土地は、火山灰に含まれる豊富なミネラルによって肥沃である。ジャワ島やバリ島では、火山のふもとに人が集まり、稲作文化が発達した。
  • インドネシア語は、民族の多様性を越えて共有できる共通語が必要とされ、マレー語を基礎として作り上げられた言語である。
  • 7世紀から13世紀にかけて、スマトラ島南部を中心に栄えたシュリーヴィジャヤ王国は、マラッカ海峡を押さえる地の利を活かし、東西を行き交う船を掌握した。また、多民族・他宗教を受け入れ、信仰の自由を認める寛容な文化政策をとり、仏教を国家の正当性の根拠とすることで、広く、長く繁栄した。
  • 8世紀から10世紀に、現在のジョグジャカルタ付近で栄えたマタラム王国では、稲作が発展し、農業によって国が支えられていた。
  • イスラームの到来により、社会構造や価値観に大きな変化がもたらされた。
  • 中世ヨーロッパでは、胡椒、クローブ、ナツメグが非常に重宝され、人々はそれらを直接アジアで手に入れようと考え始めた。当時、クローブとナツメグは、世界経済を動かすほどの価値を持っていた。
  • 1511年、ポルトガル艦隊がマラッカを攻撃し、ヨーロッパ勢力によるインドネシアの植民地化が始まる。
  • その後、ポルトガルとスペインによる植民地争奪戦が続くが、両国が疲弊したところにオランダが進出し、オランダ東インド会社を設立。その後、同社による統治が約200年続いた。
  • 1870年代頃から、オランダは統治の効率化を目的として、インドネシア人にも教育を施すようになる。そこから生まれた知識人たちが民族運動を起こし、後の独立へとつながっていく。
  • 1908年、Boedi Oetomo(「知識と理想で祖国を再生させよう」を掲げた団体)が、インドネシア人の若者によって結成され、「インドネシア人」という概念が育っていった。
  • 1926年、共産党による蜂起を通じた独立運動が起こるが、失敗に終わる。
  • 1927年、スカルノが完全独立を目指すインドネシア国民党を設立。
  • 日本軍の占領期に、インドネシア人は日本軍から近代的な軍事教育を受けることになる。
  • 1945年、日本の敗戦が決定的になると、8月17日、スカルノとハッタが独立宣言を行う。
  • 1966年3月、スカルノからスハルトへ国家権力が移行する(スーペル・スマール)。スハルトは経済発展を最優先課題として国づくりを進めたが、政権が長期化するにつれ独裁色が強まり、経済も縁故主義的な傾向を強めていった。その結果、1997年にアジア通貨危機が発生する。
  • 1998年、スハルト辞任。
  • 1999年、国民による自由選挙で総選挙が実施される。

まとめ

インドネシアを実際に訪れてみて、「なんと穏やかな国だろう」「なんと穏やかな人々だろう」と感じました。しかし、それは決して偶然ではなく、こうした過去の経験の積み重ねがあったからなのだと思います。

特に驚かされたのは、現在の比較的安定したインドネシア社会が、本格的に形づくられ始めたのが、ほぼ2000年以降だという点です。

つまり、私と同世代の人々は、スハルトの独裁政権やアジア通貨危機を実際に経験してきた世代でもあります。

彼らが当時、どのような思いで、どのような生活を強いられていたのか。

機会があれば、ぜひ直接話を聞いてみたい、そんなことを考えさせられました。