本当に愛を必要としているのは……。
大田区の3歳女児死亡事件がありました。
3歳の子どもが8日間家の中で置き去りにされ飢餓と脱水で亡くなってしまった事件です。
思い起こされるのは10年前の2010年。大阪市で3歳の女の子と1歳9ヶ月の男の子が死亡した事件です。
私の印象に残った二人の母親の共通点は、ともにシングルマザーだったことと、母親本人が過去に親からネグレクトされたり、虐待されてきたということです。
ここからは専門家でもなんでもない私の個人的な意見です。
このようなニュースが流れた時に、ネットでは「親として失格」「ご飯くらい作ってあげろ」などという反応があったように思います。
この現実の世界ではシングルマザーであっても頑張って子育てをしている方々もいますので、子育てを放棄して子どもを死なせてしまった母親を擁護するわけではありません。
ただ、シングルマザーが一人で子どもを育てるのがいかに大変なのかを社会はもっと理解する必要があるのではないかと思います。
私は現在、中一の男の子と1歳半の女の子の父親ですが、「一人でこの二人を育てろ」と言われても、しっかりと育てれる自信はありません。
おそらく、人生のどこかでイライラしてしまい虐待をしている可能性もあると想像しただけでも怖くなります。
次に、親から十分に愛情を注がれなかった経験を持つ母親についても、もっと社会は理解をする必要があると思います。
親になって思うことは、自分の子どものしつけや教育は親から受け継いだものなんだなと思います。
とっさの一言にそういうところが出ます。
例えば、先日ふと自覚したことなんですが、子どもが自分の作ったご飯を食べてくれずに泣き出すと、私はとっさに「ごめんね。あんまり好きじゃなかったね」と声をかけていました。
これは、私の母親が常にそういう声の掛け方をしていたからなんだなと思いました。
逆に、「そんなに泣くくらない、食べなくてもいい!」と殴りつける親だったら、私も殴りつける親になっていたことでしょう。
そして、「私も昔はこんな風に食べるのが嫌で泣いていたら、親によく殴られたもんだ。こんなことは普通の家庭にはよくあることだ」と思うことでしょう。
親から受けたしつけや接され方が虐待に近いものだったらどうでしょうか?
おそらく、親にされたことと同じようなことを自分の子どもにしてしまうのではないでしょうか。
それが虐待だと気がつくことなく、むしろ愛のムチだと思ってそういう行為をしてしまうかもしれません。
さて、ここで何が言いたいかというと、十分に愛情を注がれずに育った母親は自分の子どもへの愛情の注ぎ方を知らないのです。
自分も同じようなことを親からされて育ったから大丈夫、となってしまいがちなのではないでしょうか。
子どもに愛情を注がない親に対して、社会やそばにいる人々は母親を責めることでしょう。
でも、母親本人にしてみれば、「なんで、みんな私ばかり責めるの?私はやっぱり嫌われているの?」という感情を抱いてしまうことでしょう。
そもそも、愛されたことがなく、幼い頃から日々、「私は愛されない」と思って育っているのですから。
子どもへの愛情が感じられない母親を見つけたら、「何してるの!」とか「母親失格」とか責めても悪影響しかないような気がします。
なぜなら、人を愛するということは、人から愛されなければわからないことだと思うからです。
よく、与えて欲しければ、まずは与えなさい。愛されたければ、まずは愛しなさい、と言われます。
愛されたことのない母親に、自分の子どもを愛しなさい、というのは実はすごい難しいことなんだと思います。
それでは、どうすればいいのか。
それは、愛情を十分に注がれなかったな母親を愛してあげるしかないのです。
愛された母親は、おそらく自分が受け入れた愛情の分だけは、少なくとも子どもに愛を注いでくれることでしょう。
本当に愛されることが必要なのは、実は愛情を親から十分に注いでもらえなかった母親なのです。
自分の日々の生活から、反省も込めて書いてみました。
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