さかなクンの母親の教育(?)がすごい! さかなクンの自叙伝から学ぶ天才の育て方
のん(能年 玲奈)主演の映画「さかなのこ」を見て、さかなクンのお母さんの言葉をもっとちゃんと知りたいと思いさかなクンの自叙伝『さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜』を読んでみました。
映画「さかなのこ」はこの本を原作とした映画で、のんが女性ながらに若きさかなクンを演じております。
この映画の中で、さかなクンの母親の言動がすごいな、と感動したので、本当にさかなクンの母親ってこんな人だったのかな、と思い確認のためにこの本を読んでみようと思いました。
その結果、やっぱりさかなクンのお母さんはすごかったです。
今回は、心を動かされたさかなクンのお母さんの言動を紹介したいと思います。
お子さんを天才に育てるためのヒントがたくさん、散りばめられています
そう、そこはゴミ収集車の車庫。地域のゴミ収集車が、一堂に集められていました。
p15
いつも見かける2tゴミ収集車はもちろん、見たこともないほど巨大なものや特殊な形のゴミ収集車がまでもが、我が家の車をとりかこむかのようにお行儀よく並んでいたのです。
母は、いつもゴミ収集車を見るたびにはしゃいでいる自分の様子を見ていて、ここに連れてきたらよろこぶに違いないと、ナイショにして連れてきてくれたのでした。そんな母のサプライズに感動!なによりもトラック、とくにゴミ収集車が好きだった自分にとっては、どんな遊園地や大きなおもちゃ屋さんよりも魅力的な場所でギョざいました。
そして夕食は毎日のようにタコをおねだり。それでも母はイヤな顔ひとつしませんでした。それどころかお刺身、煮込み、酢の物など味付けを変えて1か月ほども毎日、タコ料理を作りつづけてくれたのです。
p28
水族館にいくと、もちろんタコだけでなくいろいろなお魚に出会うことができます。けれど、生きたタコの姿が見たい一心の自分は、ほかの水槽にはいっさい目もくれず、入館してから閉館の時間までずーっと、タコの水槽の前から離れませんでした。けれども、タコはほとんどの時間をタコ壺にかくれていて、一日かけてほんの少ししか姿を見せてくれません。まさに忍耐勝負。たま〜にニョロッと出てくる足や、のそのそ〜っと動く姿を見つけたら、それはもう大興奮です。
p29
「お母さん、見た?いま足が動いたよ!」
「ねえ、なんで足がそれぞれちがう動きするんだろうね。おもしろいねぇ。」
「足の先っちょだけがクイクイッて動いてるぅ!」
と、キャッキャ言いながら、ますますタコの水槽にかじりつくのでした。そんな自分の姿を見て、母は言いました。
「へえ、タコっておもしろいんだねぇ。お母さんもどんどんタコが好きになってきたよ。」
肝心なタコちゃんはといえば、タコ壺の中からキラリと輝く目玉だけ。それでもその日はどうしてもタコが見たかったので、閉館までタコの水槽から離れませんでした。
p46
「あーあ。こんなに待ったのに、おめめしか見えなかったよ。今日はタコさんご機嫌ナナメだったのかなあ。」
帰り道、そうため息をつくと、
「そうねえ、残念だったわね。でも、タコさん以外にもいろんなお魚がいたのよ。ホラ。」
そう言って、母は一枚の下敷きを手渡してくれました。それは、水族館で売られていた下敷きでした。タコの水槽に夢中になっている間に、買っておいてくれたようです。
「うわぁ!ありがとう、お母さん。」
その下敷きには、水族館にいるお魚の写真が両面にずらりと並んでいました。
ここのウマヅラハギならゆずってくれるかもしれない!そう思って一目散で家へ帰ると、ただいまもそこそこに、お母さんに頼んでみました。
p56
「お母さん、いま大和にいったらね、柳川さんの水槽の中にウマヅラハギちゃんがいたんだよ!いいなあいいなあ。」
いつもウマヅラハギに心酔している様子を間近で見ている母には、ウマヅラハギへの熱意が通じていたのでしょう。母は夕ご飯の準備をしていた手を止め、
「じゃあいってみようか。」
と、すぐに車で連れていってくれたのです。
こういうとき、母はいっしょにいてもいっさい口を出してきません。お店にお願いするときも、ぜんぶ自分でやるのです。母はただ後ろで見守ってくれているだけ。失敗することのたいせつさを、身をもって学んでもらいたかったのかもしれません。
p58
種によってそれぞれちがう動き方や食事法などを見ていると、ひとつの水槽の前であっというまに1時間以上が経過してしまうのでした。
p63
母がそのうちしびれを切らして、
「次の水槽見ようよ。」
とせかすのですが、
「ちょっと待って。お母さん見てよ!あの黄色いお魚の鰭の動き方、おもしろいよお。」
と言うもんだから、なかなか進みません。母も母で、
「あら、ホント。あんなふうに動かすのね、おもしろい。」
と乗ってきてしまうものだから、そこからさらに長くなるといった具合でした。
お魚屋さんでは、見ていると水を流しながらさばいています。それをマネして、おなじように水を流しながらお魚をおろしていきました。
p66
そしてそのままお皿にのせて、
「はい、できあがり!」
もちろんお魚は水でビッチャビチャです。
「新鮮なお刺身だよー♪」
家族を呼んでみんなでいただくのですが、なぜかいつもおいしくないのです。
「あれ。お、おいしくないね。」
「なんか、水の味しかしないね。」
「新鮮なはずなのにね。」
と、毎回大不評。新鮮なお魚をお刺身にしたらおいしいはずなのに、どうしてこうも味がしないんだろう・・・・・・。頭の中は「?」だらけでした。
けれども母は、なにも言いませんでした。きっと、なにごとも自分で経験して学んでほしいと思っていたのだと思います。
家庭訪問では、母は毎年、その年の担任の先生におなじことを言われていたと言います。
p72-73
「本当に絵がお上手ですね。彼の描く絵はすばらしい。ただ、授業中も魚の絵を描いてばかりで、授業にまったく集中していません。もう少し、学校の勉強もきちんとやるように家庭でもご指導していただけませんか。」
すると母はいつもこう言っていたそうです。
「あの子は魚が好きで、絵を描くことが大好きなんです。だからそれでいいんです。」
「しかし、いまのままでは授業にまったくついていけていません。今後困るのはお子さんなんですよ。」
「成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか。みんながみんないっしょだったら先生、ロボットになっちゃいますよ。」
困ったのは先生のほう。まさかそんな返事が返ってくるとは思っていなかったでしょう。こんな提案もしてくれました。
「では、絵の才能を伸ばすために、絵の先生をつけて勉強をさせてあげたらいかがですか。」
「そうすると、絵の先生とおなじ絵になってしまいますでしょ。あの子には、自分の好きなように描いてもらいたいんです。いまだって、誰にも習わずに自分であれだけのものを描いています。それでいいんです。」
母の態度は一貫していました。先生に語ったこの言葉どおり、「勉強をしなさい。」とか「お魚のことは、これくらいにしときなさい。」などと言ったことは、いっさいありませんでした。そのかわり、
「お魚が大好きなんだから、好きなだけ絵を描くといいよ。」
そう言って、いつも背中を押してくれたのでした。
正直、そのときはハゼがどんなお魚かもよくわかっていませんでした。けれども、初めてのハゼ釣りにドキドキワクワク!さっそく次の日曜日に、川嶋クンのおじいちゃんの住む横浜の根岸まで行くことになりました。
p75
その話を聞いた母は、
「釣ったらおうちで飼うんでしょ。」
なんと!あらかじめ水槽を買ってきてくれていたのです。
水槽は、それ自体が重たいうえに大量の水を入れます。だから、とてつもない重量になってしまいます。その多くの水槽を、リビング横の畳の部屋に置いていました。そのせいか畳は沈み、水換えの際にこぼれた水の影響で、どんどん黒ずみ腐っていきました。畳が沈み腐っていくなんて、ある意味、家の緊急事態。それでも母は、
p106-107
「水槽って、畳に置いちゃダメだったのね。」
と、ケロッと言うだけでした。むしろ誕生日には、さらに新しい水槽を買ってくれたほどでした。おかげで心おきなく、いつでも好きな時にお魚を観察することができたのでした。
「お魚が好きならとことんやりなさい。」という母の姿勢は、畳が腐ろうとも、いつもどんなときでも変わりませんでした。その姿勢に、いつもいつも助けられていました。だって一度たりとも、お魚を見たい、飼いたい、描きたいといった自分の中からわき出てくる思いを、ガマンした記憶がないのですから。
卒業式の朝、母に言いました。
p112-113
「お母さん。今日はランドセルで学校にいってくるね。」
「でも、今日はランドセル持っていかなくていいんじゃなかった?」
「そうなんだけど、6年間お世話になったランドセルといっしょに卒業したいんだよ。最後にありがとうって言いたいんだ。」
そう言うと、母は満面の笑みで言いました。
「そうね。それならランドセルでいっておいで。」
<中略>
知らないお母さんたちが、
「あの子ランドセルできてるわよ。」
「親は知ってるのかしら。」
「恥ずかしくないのかしらね。」
とヒソヒソ話している声も耳に入ってきていたそうです。
帰宅するやいなや、今日のカブドガニのことを母に報告しましした。
p126
「カブトガニちゃんの水槽がなくて困ってるんだ。学校にある入れ物はどれも小さすぎて、背中が出ちゃうんだよ。」
すると母は、ポンと手をたたき、こう言ったのです。
「じゃあ熱帯魚屋さんにいってみようか。」
そしてすぐに車を走らせ、大和にある大きな熱帯魚屋さんへ連れていってくれたのでした。
お店につくと、入り口の前に横幅90センチの水槽が、”大特化”という札とともに照明と濾過装置もついて1万円で売られていました。通常なら5〜6万円はする代物です。
「ねえ、これだったらカブトガニ入るんじゃない?」
母はその3点セットを指さして言いました。
「うん、入る!」
「じゃあ、お母さんがこれ買ってあげる。」
「えー!?いいの!?」
母はその水槽セットと人工海水の素をすぐさま購入し、そのまま理科室へと運んでくれたのでした。
そして、また後日あの楽器屋さんへと出向いたのです。
p159-160
この前とおなじ店員さんが、またバスクラリネットを吹かせてくれました。この音を母に聞かせたかった自分としては、もうそれだけで大満足でした。
「この音色をどうしても母に聞かせたかったんです。ありがとうございます!」
そうお礼を言う自分の横で、母はとつぜん、
「本当にすばらしい音色です。このバスクラリネット、いただけますか?」
「えっ?お母さん!?」
「いいのよ、買いましょう。」
「ちょ、ちょっと待って。お誕生日でもクリスマスでもないんだから。それに高いんだよ。いいよ、買わなくていいよ。」
あせって止める自分に、母は言いました。
「大丈夫よ。こういうときのために、コツコツためてた定期預金、おろしてきたから。」
まさか母がこんな大金を用意してきてくれていたとは。自分としては本当に音色を聞かせたかっただけなのに。うれしさと申し訳なさで、心の中は大混乱でした。
帰り道、自分の腕には買ってもらったばかりのバスクラリネットがありました。少し前を歩く母を呼び止め、言いました。
「お母さん、ありがとう!いつか、出世払いでかならずお返しします。」
「じゃあ、その日を待ってるわね。」
母はそう言って、笑ったのでした。
ある日の夜、母に電話をしました。
p198-199
「お母さん。熱帯魚屋さんから正社員にならないか、と誘ってもらったんだけど、ことわろうと思うんだ。熱帯魚屋さんもやめようと思う。」
「あら、どうして?」
母はしずかにたずねました。
「はっきり言葉にするのは難しいんだけど、ちがうと思うんだ。なんかちがう気がする、自分の生きる道は。」
「そう思うなら、そうしたらいいよ。一度しかない人生なんだもの。自分の決めたことがいちばんよ。お母さんは応援してるから。」
母の言葉に背中を押され、一からまた新たな道を探すことにしました。あとから知ったのですが、このとき、親戚やまわりの大人たちから「なぜ定食につかせないのか。」「ちょっと甘いんじゃないのか。」と、母はいろいろ言われていたようです。けれど母は、自分にはそんなことは、なにひとつ言いませんでした。ただひたすら、信じて応援してくれていたのでした。
まとめ
さかなクンのお母さんは、さかなクンの喜ぶ顔が見たくて、とことん彼につきあい、先回り、先回りして彼を喜ばせようとしています。
また、さかなクンを信じて、さかなクンの選択にケチをつけたり意見をすることはなく、さかなクンの判断や選択を信じて応援するのです。
確かにさかなクンは一般の社会ではちょっと生きづらい性格に育ってしまったかもしれません。
実際に、本書の中には水族館の実習などで、足を引っ張ってばかりいたという話や、失敗話がたくさん書かれています。
でも最終的に、今さかなクンはとっても幸せに生きています。
お母さんもそれを一番に望んでいたはずです。
自分の子どもをいかに幸せにするのか、それが保護者の使命と考えるのであれば、さかなクンのお母さんに見習うべき点は多いかと思います。
さかなクン、さかなクンのお母さん、体験談をシェアしていただき、ありがとうございました。
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