「風と共に去りぬ」のアメリカ―南部と人種問題

2018-10-04

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「風と共に去りぬ」からアメリカの黒人差別について考察した一冊。

以前から読みたいと思って、購入したものの、そのまま放ったらかしにしていた本です。

1996年に出版された本なので、少々古いのですが、アメリカの差別の歴史を垣間見ることができる本です。

「風と共に去りぬ」という小説を通して、マーガレット・ミッチェルが黒人についてどう考えていたのか、当時の白人は黒人をどう思っていたのかなどが分析されています。

風と共に去りぬは黒人差別の小説であり、受け入れることができない、と話すアフリカ系アメリカ人の方々がいると思いきや、まったく逆で賞賛するアフリカ系のアメリカ人もいるようです。

また、意識が高く、それは差別だ、という人こそ、差別的であるという指摘があったりもします。

そこにアメリカの人種問題の難しいところがあるような気がしました。

正直なところ、人々が楽しい、評価できる、と思うのであれば、私はそれはそれでいいと思ういます。
そこに差別的な表現などを見出そうとすれば、キリがないというように思います。

特に様々な人々が暮らすアメリカ社会ではそのような傾向が強いように思います。




以前、アメリカにで、ヒスパニック系の高校生がアフリカ系アメリカ人の高校生に射ち殺されたという事件が発生しました。
原因は、アフリカ系アメリカ人の彼女がヒスパニック系の生徒に取られたということでした。
一時期、これは人種間の抗争だ、とか、差別だと騒がれましたが、果たしてそうだったのでしょうか?
おそらく、このアフリカ系アメリカ人は別のアフリカ系アメリカ人に彼女が取られたとしても、彼女を奪った相手を殺していたのではないでしょうか?
そして、もしもそのような事件が起きていたのであれば、それは問題にならなかったと思うのです。

何か起きると、なんでも人種差別の問題と結びつけてしまうのがアメリカであるような気もします。

しかし、それとは逆の例で、一昔前はマイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、などたくさんのアフリカ系アメリカ人のプロ・バスケットボールプレイヤーは、人種を問わず、すべての人々のヒーローでもありました。

私も6年ほどアメリカに住んでおりましたが、結局のところ、人種差別的な発言をする傾向がある人も、人種差別反対と訴える人も、何を見ているかというと「個人」なのです。
人種差別的な発言をするアングロサクソン系の人の中にも、アフリカ系アメリカ人と仲が良い人がいたりします。
また、アフリカ系アメリカ人でありながらも、アフリカ系アメリカ人に対して差別的な発言をする人もいます。




その根底にあるのは、人々をカテゴリーに分けてみる、というよりは、個人として見るという感覚があるように思います(これは私の個人的な願いなのかもしれませんが・・・)。

そして、私が一番嫌なのは、異なる背景を持つ人々と共に生活をしたことがないような日本人が、他の国の差別問題をとやかく言うことです。
そんなに単純な話ではないのです。

日本人がアメリカの差別について語ることは、「風と共に去りぬ」の時代の北部の白人のようなものなのではないだろうか、と思ってしまいます。

もうちょっとわかりやすく言うと、日本の猿まわしを見て、動物虐待だ、というような外国人と同じような気がします。

このように書くと、この本の著者を批判しているように聞こえるかもしれませんが、「風と共に去りぬ」という小説から当時のアメリカ社会、アメリカの差別問題を分析しようとして試みは、若干危ういところもありますが、大変、興味深いものでした。
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