はじめての飛行機 空港にて

はじめて飛行機に乗ったのは中学1年生のとき。

家族みんなでアメリカに引っ越しするときのことでした。

すべてがはじめての経験でとてつもなく刺激的だったというのか、おどおどしていたというのか、そんな感じの飛行機。

当時、愛知県名古屋市に住んでいたので、出発は小牧空港から。

そう、当時はまだ「小牧空港」と呼ばれていました。

電車で小牧空港に到着して、チェックインは母親が親戚に助けられながらさっさと済ませている(ように見えた)。

チェックインが終わり、待合室で待っていると、まずやってきたのは父親の会社の同僚の方。

私たちもよく彼の家に遊びに行ったことがあり、家族ぐるみのおつきあいだったので、なんとなくほっとしたことを記憶している。

しばらくすると、遠くの方が騒がしくなり、まさかと思いきや当時中学3年生だった姉の友達がぞろぞろとやってくる。

ながーい制服のスカートに頭に真っ赤なリボンをつけた女性だったり、ブカブカのズボン(いわゆるボンタンってやつ)を履いた、腕っ節の強そうな中学一年生がぞろぞろと集団で歩いてくる。

親戚と父親の同僚だけではなく、空港にいる人々がみんな驚いていることがわかる。

私は中学校で見慣れた光景で、むしろ自然だと思っていたので、あまり違和感はなかったが、やっぱり普通の人からしてみればとてつもなく違和感があったことでしょう。

ちなみに、私と姉が通っていたのは当時、名古屋市内で一番荒れていると言われていた中学校でした。

父親の同僚がそのとき母親に一言。

「りおちゃん、変わったねー」。

りおちゃんとは、もちろん私の姉のことである。

そこでたくさんのプレゼントをもらう。

確かフェリックス・ザ・キャットの大きなぬいぐるみとかもらっていたような。

しかも空港で。

うーーん。ありがたいような、迷惑なような。

そういえば、2、3日前に姉の友人が自宅にたくさんのお土産を持ってやってきた。

その中に、学校の机を取り外した、机の部分だった。

そこにたくさん、寄せ書きがされていた、「あぁ、青春だー」みたいに涙が出そうになったけど、これ一体アメリカまでどうやって持っていくんだ、というのが私の一番の疑問だった。

そのときにはすでに、アメリカ行きの荷物は送ってしまっていたし、最後の最後にアメリカに宅急便で送るのは段ボール二つだけ。

結局、母親は姉のお土産を優先して段ボールに詰め込み、新しく大きなカバンを購入をして、段ボールで送るはずだった荷物を大きなカバンに入れた。

とてつもなく重いカバンになったが、母親はどうやらそのカバンを手荷物でアメリカまで持っていくようだ。

さすが、お母さん、優しいな、と思ったのもつかの間。

Yくん、一番の力持ちだからよろしくね。

あーーーーー!!!!

って、感じで、とてつもなく重たい荷物を私は持ってアメリカに行くことになったのでした。

さて、さて、姉の友人たちのいわゆる「不良くん」たち。

「そろそろ、帰るわー」と言い出したものの、こそこそと何やら相談。

聞き耳を立てていると

「どうやって、帰る?」
「俺、もう金ないよ。空港までこんな高いとは思わんかったし」

と聞こえてくる。

名古屋市内から少ないおこずかいを空港までくる電車賃に使ってしまったようだ。

私の母親はというと、

「えー。日本円、もう持ってないよー。全部親戚の家に置いてきよー」

とのこと。

確かに、空港についてしまえば日本円など必要はない。

ドルさえあれば、なんでも買えるから、日本円は置いていこう、という話を昨晩したばかりだった。

とそこへ、スーパーヒーロー登場。

父親の同僚のおじさんです。

1万円をぴゅっと財布から出して、

「君たち、今日はありがとうね。友達のために。おじさん、感動したよ。これで帰りな」

と彼らに1万円を渡したのでした。

姉と不良くんたちの友情。

父親と父親の同僚の友情。

母親の愛情。

などなど、いろんな温かい気持ちが噴出したはじめて飛行機に乗りこむ空港でした。