子育てに重要なのは「気にしてあげる」こと
「子どもは親に愛されたいと思っている」
「親は子どもに無条件の愛を注がなければいけない」
など、巷でよく聞く言葉です。
しかし、具体的にはどうしたら良いのでしょうか?
親として無条件の愛を子どもに注ぐとはどういうことなのでしょうか?
欲しいものはなんでも買ってあげることでしょうか?
わがままでもなんでも聞いてあげることでしょうか?
もちろん、このような行為は子どもの成長を阻む要因となります。
私は、常に子どものことを気にしてあげることだと思います。
ちょっと、いろいろなことを思い返してみました。
以前、私の母親から、新しく生まれた子どものために、いろいろなものが送られてきました。
その中に、小学6年生の息子宛に「もらいもので申し訳ないけど」と書かれた新品の毛布が入っていました。
小学6年生に毛布?と思ったものの、彼はとっても喜んでくれました。
おそらく、彼の中では、
「まだ会ったことのない、知らない人だけど、僕のことも気にしてくれているんだ」
という喜びを感じたのではないでしょうか?
(私の息子は継子で、彼が小学5年生の時に私の息子になっているので、私の母親と会ったことはありません)
また、以前、彼に
「明日、野菜ジュース買ってきて」
とおねだりをされたことがありました。
それほど高いものでもなく、健康にもいいものなので、次の日に野菜ジュースを買ってきました。
すると、彼は喜んでくれたのですが、喜び方は私が期待したものとはちょっと違いました。
私は
「わー、野菜ジュースだ」
と喜ぶのかと思っていたら、彼は
「わー、ちゃんと覚えていてくれたんだ」
と喜んだのです。
つまり彼の中では、おそらく野菜ジュースでもチョコレートでも、本でも、なんでも良かったのかもしれません。
ちょっとしたお願いを気にしてもらえている、ということが彼にとっては重要だったのではないでしょうか。
また、息子が風邪をひいた時のことです。
「さっさと寝なさい」
ということにちょっと不機嫌そうに
「薬ちょうだい!」
とギャーギャー騒ぐのです。
しかし、あいにく薬がなかったので、生姜湯を作ってあげることにしました。
生姜を切って、お湯と一緒に沸かして、はちみつを入れる、という作業を彼は私の隣でジッと見ていました。
そして、嬉しそうに生姜湯を飲んだ後は、何も文句言わずにさっさと眠りにつきました。
子どものことを気にしてあげて、ちょっとでもいいので手間暇をかけてあげる、こういうことが実は子どもの幸福を満たすのではないでしょうか。
1年に1回、大きな高価なプレゼントをあげる、そんなことよりも日々のちょっとした気遣いが子どもを幸せにするのでしょう。
「まだ、歯磨いてないでしょう?」「今日の朝、ご飯食べてないでしょ?」というような子どもの日常生活において「私は見ているのよ」ということを示す、そういうことが無条件の愛を注ぐということなのかもしれません。
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