イノベーションと「ブリコラージュ」
先日、紹介させていただいた山口周さんの『武器になる哲学』に、先日も話題として取り上げさせていただいた「ブリコラージュ」について、話があったので紹介させていただきます。
山口氏はこの本の中でブリコラージュを、あり合わせのよくわからないものを非予定調和的に収集しておいて、いざという時に役立てる能力のことを、レヴィ=ストロースはプリコラージュと名付けて近代的で予定調和的な道具の組成と対比して考えた、と紹介していました。
そして、このような考え方をイノベーションに当てはめてみると「とりあえず、何の役に立つかよくわからないけど、作ってみたら莫大な価値を生み出すことになった」という事例がたくさんあることを山口周さんは紹介しています。
その逆に、「この発明をしたら絶対に売れる」と考えて、莫大な費用をつぎ込んでも失敗してしまうという例もたくさんあるようです。
「ブリコラージュ」を紹介する章を山口さんは、次のように締めくくっています。
「翻って、現在のグローバル企業においては、『それは何の役に立つの?』という経営陣の問いかけに答えられないアイデアは、資金供給を得られないことが多い。しかし、戦術したこれらの事例によれば、世界を変えるような巨大なイノベーションの多くは「何となく、これはすごい気がする」という直感に導かれて実現しているのだということを、我々は決して忘れてはなりません。」
あり合わせの役に立つかよくわからないものを、役に立たせる知恵とはどこから生じてくるのでしょうか?
私の個人的な考えは経験の多さ、知識の多さなのではないかと考えます。
人の想像力には限界があります。
想像力を豊かにするためには、情報のインプットが必要になります。
レヴィ=ストロースが観察をした人々は本を読んだりはしないかもしれませんが、人が危機を乗り越えたり、想像もしない道具の使い方をしている場面をたくさん見てきているのでしょう。
だから、いざという時に、一見役に立たなさそうなものを、役立たせることができるのではないでしょうか。
幼い頃に、私はいろんなものを拾ってきました。
自転車の鍵、電球の傘、鉄の棒、ラジオのアンテナ、などあらゆるものがおもちゃ箱に入っていました。
しかし、それれを役に立てることはできませんでした。
これは、知識が足りなかったからなのかな、と思います。
何となく将来価値が出るかもしれないと思い進めている事業や仕事は、「いつまで経っても成果が出ない。やっていてもキリがない」と諦めたくなることが多いのですが、ブリコラージュの話を聞くと、もうちょっと続けてみてもいいかな、と思ってしまいます。
しかし、そこにはその事業や仕事を一筋でこなすことと同時に情報のインプットも必要なのかもしれません。
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