人生いろいろな友達を持つべき理由
人生において人脈、ネットワークを作ることは重要であると言われています。
仕事や転職はコネクションが重要だったりするので、人脈が多ければそれだけあなたの事業をサポートしてくれる人が多いということです。
しかし、今回の話はそんなお話ではありません。
今回のお話は、人生においていろいろな友達とつきあうことで、当事者意識を持つことができるというお話です。
何気なく仕事をしていたり、日常生活を過ごしていると、「当事者意識」というものをあまり持つことはありません。
しかし、社会課題を見つけたり、解決したり、または新しいマーケットを見つけるために「当事者意識」は重要です。
なぜなら、自分とは違った立場の人々が世の中にどのような不便さを感じているか、ということは当事者になってみなければわからないからです。
そして、その不便さに社会課題があったり新しいマーケットが眠っている可能性が高いのです。
たとえば、今、話題になっている差別の問題です。
日本はまだまだ差別が多い国です。
大学院生の頃、私は留学していたエチオピア人の友人に自転車を貸していました。
彼はエチオピアにいればとてつもないエリートであり、将来はエチオピアを動かすような人間になるような人でした。
しかし、彼に自転車を貸してから、毎晩のように警察から電話がかかってくるようになりました。
「この自転車はあなたに借りたと言っていますが、本当ですか?」と。
こういうことが3夜連続で起こったので、さすがに管轄の警察署に抗議をしに行きましたが、「肌の色が濃い方が夜自転車に乗っている=怪しい」という意識が日本にはまだまだある、ということを実感させられました。
エチオピア人の友人がいなければ、警察から毎日電話がかかってこなければ、日本にある差別意識に気がつくことはできなかったでしょう。
また、私の大学院の時の先生は松葉杖を使って歩いていました。
時々、出張で一緒に電車などに乗る機会があったのですが、事前にホームのどの位置にエレベーターがあるのかなどルートをしっかり予習して、利用する駅やホテル、打ち合わせ会場などをしっかりと調査をしておく必要がありました。
実際に電車の駅のホームを移動していると、「なんでこんなところにエレベーターが?」というくらいにわかりにくい場所があったり、表示がわかりにくかったり、エレベーターはあるもののエレベーターまでの通路が松葉杖では通れないくらいガタガタだったり、滑りやすかったり、ということが多々ありました。
実際に自由に動くことができない人と一緒に行動しなければわからなかった経験でした。
このような不便さを体験することで新しいマーケットが見つかったりします。
このように、人生においていろいろな友達とつきあうことで、いろんな経験をしたり、思いを体験したりできるのです。
差別やバリアフリーについて本などで読んで理解したつもりでいても、結局、体験しないとわからないことは多々あります。
いろんな人と友達になることで、様々な体験をすることができ、これまで他人事だった問題を自分ごととして捉える視点、感覚が養われます。
いろいろな方とつきあうことで、幅広く社会を見る視点、寛容な性格が育まれる可能性があるのです。
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