五木寛之『大河の一滴』感想
五木寛之さんの『大河の一滴』を読んでみた。
タイトルだけは知っていたのですが、ずっと小説だと思っておりましたが、エッセイでした。
人生について考えるエッセイでした。
五木寛之さんの著書をちゃんと読んだのは、今回が初めてです。
以前、大学生の頃に海外で生活していた父親にヨースタイン・ゴールデルの『ソフィーの世界』と五木寛之さんの『生きるヒント』をお土産で持っていったところ、「これは両方とも名著やな。ありがとう」と父親が言ってくれたのを覚えている。
でも、私自身『ソフィーの世界』は3回くらい読み、ヨースタイン・ゴールデルの著作をほぼ全部といっていいくらい読んだにも関わらず、五木寛之さんの著書は読んだことがなかった。
さて、前置きはこれくらいにして『大河の一滴』に話を戻すと、驚くことに五木寛之さんが本気で自殺を考えたことがあったということ。
そして、あとがきにも書かれているように自分のことを
「他人を押しのけ、小賢しくて立ち回って生きてきた自分のような人間が、いまさら人になにを偉そうに物を言う資格があるだろうか、とつい考えてしまうのだ」
と思っていることです。
過去を背負い、過去の自分と向き合っているからこそ、生まれたのがこの本なのかな、と思いました。
そのような気持ちから、現代社会で生きる人々に、人生とは何か、今ある社会とはどういう状況なのかを一緒に考えましょう、というのがこの本だったのかな、と思いました。
一般的に言われていることよりも、ちょっと違った人生観・社会観を示しているような気がしました。
以下、私が気になった部分の抜粋です。
・なにも期待していないときこそ、思いがけず他人から注がれる優しさや、小さな思いやりが<早天の慈雨>として感じられるのだ。
・このひどい世の中で、こうしてなんとか生きているだけでもありがたいと、心の中で手を合わせて感謝すればいいのだ。
・しかし、後年、私を自殺から救ってくれたのは、「この世は地獄である」という感覚だけではない。そのような悲惨な極限状態のなかでさえも、信じられないことだが、人の善意というものがあり、正直さも、親切も、助けあいも、ときに笑いも、幸福な瞬間も、自由さも、感動もあったというたしかな記憶である。
仏教にも感化された五木さん。
仏教に関する本もいくつか読みたくなる、そんな本でした。
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